らくだが針の穴を通るよりも難しいことを、私たちのために

主はアブラハム、イサク、ヤコブと結んだ
契約のゆえに、
彼らを恵み、憐れみ、御顔を向け、
彼らを滅ぼそうとはされず、
今に至るまで、御前から捨てることは
なさらなかった。列王記下13:23



神の賜物と招きとは
取り消されないものなのです。ロマ書11:29



 マタイ19:16~26
 マルコ12:18~27(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/19/;木)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
天地を造られる前から(エペソ1:4)、
私たちを恵み、あわれもうと心に決めておられ、
私たちを捨て去り、御顔をそむけて、
滅びるに任せることはなさらない方なのですね。
賜物と召命を取り消すようなことはなさらないで。


 完全な義であられる神が、
不完全な私たち人間を天の御国に入れることは、
らくだが針の穴を通るよりも
難しいことなのだそうです(マタイ19:16~26)。


 私たちは、神によって、
「われわれのかたちとして、
われわれの似姿に」(創世記1:26)と願われ、
この方と思いを一つにする者として造られていながら、
もっと素晴らしい者になろうとして、
「神の一人のようになり、善悪を知る」ようになって、
神に対立、対抗する、
「的外れ」な者になっている(創世記3:5、22)のですから。


 それなのに、神は、その難しいことをしてくださったのだそうです。

私たちをなお愛し、惜しみ、大切に思って。


 【父である神】は、【独り子】である方を、
ダビデ家の子孫である貧しい一人の処女マリヤの胎をとおして、

「女の子孫」(創世記3:15)、「人の子」、人間イエスとして
人の世に派遣し、
この方がおよそ33歳のころ、
私たちすべての人間の「的外れ」の責任をこの方に負わせて、
神に背き、神に呪われた者(申命記21:23)として、
十字架刑で木に掛けて処刑し、
私たちの,「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を処刑が終わったもの、
死んだものとしてくださっているのだそうです。


 そのうえで、死んで墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活させられたのだそうでうす。



 復活されたイエスは、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
ご自分が確かに生きていることを示し、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰なさったのですね。



 そして、もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣してくださり、
 この方によって、私たちの心に【父である神】の御思いを置き、
私たちの内に【父である神】の御思いがあるように
してくださるというのですね。
受け入れる者が、イエスと同じように、
【父である神】と思いを一つにして生きる者となり(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)、
やがて、復活のからだ、霊のからだを着て、
天の御使いたちのようになる(マルコ12:25)
神の子の身分を持つ者、
神の国を相続する者にふさわしい生き方をするように、と。



 これは取り消されることのない、
変わらない恵みとして
私たちに与えられているの約束なのだそうですから。
今日も。



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