輝き出る、朝の太陽の光のように

 イスラエルの神は語り、
イスラエルの岩は私に告げられる。
神に従って人を治める者、
神を畏れて治める者は
太陽の輝き出る朝の光、
雲もない朝の光、
雨の後、地から若草を萌えださせる陽の光。サムエル記下23:3~4

 あなたがたは世の光である。
山の上にある町は、隠れることができない。マタイ5:14

 ルカ22:1~6
 マタイ27:15~30(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/17;水)

 イスラエルの神、
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』 という者」と名乗られる方は、
語られるのですね。
ご自分の御思いを人の心に置いて。

 それで、その御思いに従って人を治める者、
神を畏れてその御思いのとおりに世を治める者は、
雲一つない大空に輝き出る朝の光のよう、
なのだそうです。
雨の後に、荒れ地から一斉に若草を萌えださせ、
一面の緑の野にする陽の光のように。

 イエスが受けてくださった十字架刑での処刑によって、
「的外れ」になっている〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済みのもの、死んだものとしていただき、

 三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちの見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰されたイエスが派遣してくださる
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えし、

 この方によって【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父である神】と思いを同じくし、
心を一つにして生きる者、
【父である神】がしようと思われることを、
その御思いのとおりにしていく者は、
この世にあっても世の光として輝くのだそうです。

 山の上にある町が隠れることができないように、
覆われたり、妨げられたりすることなく。

 けれども、イエスを
祭司長や宮の守衛長に銀貨30枚で売り渡したユダのように(ルカ22:1~6)、

あるいは、祭司長、長老たちの扇動に乗って、
イエスを取り調べ、無罪放免にしようとするローマ総督ピラトに、
「十字架につけろ」と迫って
イエスを十字架につけさせた群衆のように(マタイ27:15~30)、
サタンの思いが心に来ることもあるのですね。

 だから、心に来た思いを
何でも「神の御思いだ」と主張するのではなく、
その一つ一つを神の御前に差し出し、
見ていただき、知っていただきながら、
光の中の出来事としていただきながら(エペソ5:11~14)、
導きを求めていくといいのだそうです(ガラテヤ5:24~25)。

 天の神、主は、私たちを、
ご自身の御思いによって世を照らす光として、
輝き出る、太陽の朝の光のようにして、
用いようとしていてくださるのだそうですから。
今日も。


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